4年のあいさつ
朝に汽車という詩をアップしてから、今日で4年です。
結構経っちゃいました。
毎日書くようになってからも、もう2年以上です。
2年のあいさつに、毎日書くことの葛藤が載っています。
毎日書いて1年が経つと、世界で、この1年で多く詩を書いたうちの100人には入るだろうと思いました。
毎日書いてもう少しすると、世界で、1000番目くらいかもなあと思うようになりました。
そして最近は、もうなんとも思わなくなりました。
ただ毎日書くだけです。
えらいとも、つらいとも、なんとも思わなくなりました。
詩をいくつか書くと、時々突然変異があります。
いままでの自分にはなかった詩が、突然ポンっと生まれるときです。
毎日書くとその突然変異の回数も必然的に多くなっていきます。
それは、いいことなのかもなあ。
でもそのくらい。あとは毎日ただ書くだけです。
最初の頃は一生懸命毎日書いていましたが、それはやめました。
眠っちゃったり、何かで書けなかったりしたときは次の日にその分も書きます。
3日4日溜まることもたまにあります。
でも「毎日分」書けばいいや、くらいの気持ちでやっています。
毎日書くからこそ良いとも思います。
だけど休んだ次の日の、一生懸命書いた1篇目の次に、ノルマだからなあと、ぽんと書いた詩が妙によかったりすることもあります。
それは連続で書かないと生まれなかったしなあと思うと、まあ毎日分でいいかなというのが今のところの気持ちです。
2年のあいさつには「だから僕は、もう少しすごくならないといけないんです」とも書いています。
これはやめることにしました。つい最近のことです。
すごくなるのをやめるというか、すごくなるのを待つのをやめました。
以前の(つい最近までの)僕はずっと、「すごくならなきゃ」と思っていました。
それは呪いのようなものです。
「すごく」なったら、何か素敵なことが、例えば音信不通の友達と連絡を取れたりとかそういうことが、起こせると勘違いしていたんです。
そんなこと、すごくなったところで何も解決しません。
それに気付いてなかったんです。
そして、すごくなくても動けるなら動いたほうがいいということも。
なんだかよくわからない、なるかもわからない未来の「すごさ」のために、たくさんの機会を捨てていることを、遅いかもしれないけど、改めて実感しました。
最近の詩にもそんなのがチラホラとあります。
動きを変えていくつもりでいます。
4年が経って4年のあいさつなのですが、去年は3年のあいさつを書いていません。
これは音楽ができていなかったのが理由でした。
あいさつの場で、ちゃんと曲ができたよと言いたかったんですね。
最初は、頑張って作って、少し遅れてでも3年のあいさつを書いて、できたと言おうと思っていました。
それがしばらく経つと、頑張って3年半には間に合わせて、ちょっとイレギュラーだけど3年半のあいさつを書こうと思っていました。
そして何もならないまま、今になりました。
今抱えている音楽もあって、やっぱりこの日までに完成させたかった。
そしてさらには、それを言い訳にこの文章も書くのをやめようと思っていました。
だけど。そうだった。
すごくなるのを待つのはもうやめたんでした。
4年のあいさつは今日しか書けないから、今日書くのがたぶん正解です。
数年後に振り返った今日と、今日の今日とでは、景色は似たようで、違うはずなんです。
ということで4年のあいさつはここでおしまいです。
ずっと見てくれてる方、最近知ってくれた方、ありがとうございます。
誰も見てなくても何かしら作っていくので、ときどき思い出したように帰ってきてください。
あ、サイン作ったんで、欲しい人もらいにきてください。
あと、どこでも歌います。どこでも書きます。
安原健太
by yasuharakenta
| 2015-07-11 22:49
| 挨拶