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制作秘話と解説 51-55

振り返るきっかけになればと思って始めたこれももう11回目だ。
制作秘話と解説、始まりますよ!




51. 決定事項は変更可能
http://ptpk.exblog.jp/15781543/

初めて詩を書いた時は手帳のノートのところに書いていました。
1年くらいしてちゃんとそれ用のノートを買って、随分長く使っていました。
まだ音楽をやっていこうだなんて思ってもいない頃の話です。
(でもこれが趣味だとは思っていませんでした。)

曲も最初は携帯電話に録音していて、2年目にICレコーダーを買いました。
DR-1というICレコーダーで、今でも愛用しています。
でもノートはもう使わなくなって、今は思いついたらすぐにメールで断片を送っています。
ノートのときも好きだったんですけど、今はひとまずそうなっています。

このブログは当初はこのノートからも載せていこうと思っていたんですけど、結局ほとんど書き下ろしです。この詩だけ唯一、ノートの時のものなんです。

この詩を書いた時のことはすごく覚えています。
大学の大教室の後ろの方で、授業中でした。急に全体像が浮かんで、すぐノートを取り出してイメージが逃げていかないように急いで書きました。

なんとなく、世の中の美的価値観として「まっすぐ!」とか「ストレート!」とか「曲げない!」とか「貫き通す!」とかが蔓延している気がしています。でも僕はそれがあんまり肌に合わなくて。いやだったら逃げてもいいのに。気持ちが変わったらその時また考えればいいのにって思ってしまうんですよね。

例えば椎名林檎さんが最初の頃「アルバムは3枚しか出さない」と言って3枚出した後に東京事変というバンドを組んだりしていましたが、数年経ってまた椎名林檎名義のアルバムを発売しました。
こういうのに対して、日本人の気質なのかどうかはわかりませんが、「前に3枚しか出さないって言ったじゃん!」みたいな風潮が強すぎると思うんですよね。この場合はだいぶ時が経ってからだったのであんまり騒がれなかったと思いますが、これより3、4年前だったりとか、そのまま普通に4枚目のアルバムを出していたら批判がきていたんじゃないかなって予想できます。

でもそんなのって、どうでもいいじゃん。
当時は本当に3枚しか出さないのがベストだって(きっと)思っていて、後でやっぱり出したいって思ったなら、それでいいと思うんですよね。
あの時こう決めたからとか、こういう理由でここに入ったんだからとか、こういう夢があったのにとか、そういうのに縛られすぎている気がします。その時一生懸命考えたのはそれはそれで良いけど、今この瞬間にどう思うのかを探るのは別に悪いことじゃないと思っています。

そういう気持ちそのまま「決定事項は変更可能」という言葉に収められた気がして、すごくうれしかったんです。2007年から書き始めているので1年半くらい経った頃でしたが、なんかうまく書けたぞ、という印象が強くありました。(2回目の解説に書いたような、オチのある書き方ですけどね。)

悩んでいる友達にたまにこの言葉を使うと、すっとこころに入っていく感覚がありました。
きっと今でも覚えてくれているんじゃないかな。
というわけでずっと大切にしていた言葉だったんです。堅すぎたのでやめましたが、このブログのタイトル候補でもありました。

この前に更新した意味探索の打ち切りという詩で急にこの言葉を使ったので、原点も一緒にと思って次の日にこの詩を、少し直してアップしました。
ノートの写真も一緒に載せてあります。こんなのずっと続けていたんです。


52. 再生
http://ptpk.exblog.jp/15809727/

このブログの初めに載せた朝に汽車という詩は、今でもとてもいい詩だと思うし、その詩で幕が開けられたことはとてもよかったと思っています。
そしてそれ以降に書いてきた詩も、思い入れや満足度はそれぞれ違いますが(自分が他人だとしても)好きになりそうな詩が多く書けてきたこともうれしく思います。
そして再生というこの詩は、書き終えてから評価がぐんぐん上がっていって、ようやく朝に汽車と並ぶか、それ以上にきれいに、無駄なく書けた詩だとようやく思えました。自分での評価があがるたび、ぞくぞくするくらいうれしかったです。

何かと詰め込み過ぎることが多い僕は、詩を書くときには引き算をだいぶ意識するようになっていました。
なのにこの詩は短いし詰め込んだつもりもないのに、未来と過去と現在を行ったり来たりして、「それでは」というちょっと癖のある言葉もすんなり使えて、どっちもいいよというセルフタイトルド的なアイデンティティも(たまたまですが)入れられて、何よりそういうの全部抜きにしても言葉がきれいなんですよね。読みやすいというか。

そしてついた名前が「再生」です。とっても素敵な名前をつけたんじゃないかってどきどきしてしまいます。
この短い詩を曲にして、たとえばアルバムの一曲目に持ってきたら、それはそれはすごいことになるんじゃないかって思っちゃいます。その意味で付けた名前ではないけど、でも、再生という曲で始まるアルバムって、考えただけでわくわくしませんか。

しかも、50篇を書き終えて、ずっと大切にしてた決定事項は変更可能という詩を上げたあとの、ある意味で次の章を飾る一番最初の詩です。何か1編見せてくださいと言っていただけたら、僕は自己紹介代わりにこの詩を紹介するんだと思います。
おそらく、2・3・2という形式も良かったんだと思います。これ以降、この再生の出来を頼りにこの行数で作ろうと思うことがかなりあって、実際何度も使っています。以前、谷川俊太郎さんが用いていたソネット形式を冬休みになったらで使ってみたことがありましたが、僕はまたいい形式を、しかも発明してしまったんじゃないかという気持ちで、なんだかふわふわし続けていました。

そして今、曲がほぼ完成しています。楽しみにしていてください。


53. 赤
http://ptpk.exblog.jp/15819825/

スガシカオさんの1stアルバム「clover」の1曲目、「前人未到のハイジャンプ」という曲。
中古屋でCDを買って再生するとき、僕は勝手にどんなに派手な曲だろうと想像していました。
例えるならサンボマスターのような、活力に漲った曲です。
だって、1stアルバムの、しかも1曲目の、さらに前人未到のハイジャンプ、ですから。

でも、想像していたよりずっと、その曲は、暗いというか、なんか変な曲でした。
全然パーティーチューンじゃない。じめじめした、聞いたことのないテンションの曲。
ただ、少しずつ気付いてくるんです。内々と秘められたものが実はあるんじゃないかということにです。
本当の夜明けは、ひとりぼっちの境界線では、こういうテンションが真実なのかもしれないと思うようになりました。

その曲のインパクトはずっと残っていて、この詩にもたぶん出てきていると思います。
黄金色になりたいと思った主人公に、特に素敵なことは起こりません。お湯は冷めてしまうし、コーヒーはやっぱり美味しくないし。でもスタートなんてそんなもんだろうって思うんですよね。思うようになったんですよね。

この詩は、朝焼けが窓から見えて、ふーんと思ってトイレに入った途端に浮かんできました。
今まで句点をほぼ使ったことがないのに、句点のイメージまで。
浮かんだのは冒頭だけでしたが、書き始めたら最後まで書けました。
書き方がいつもと違ったので少し戸惑いましたけど、でも結構気に入っています。
日に当たるソファを見てからの思考の展開をもう少し長く見せたかったのはありますね。


54. HAND
http://ptpk.exblog.jp/15876486/

前の詩から10日くらいしかあいていないけど、たくさん書こうと思っていたのにうまくいってなかったのかもしれません。twitterにもこの詩を書き終えたあとに「ふぅ。やっと合格ライン越えた。」と書いています。不合格続きだったんですね。

この詩は大切な人をイメージして書いた詩です。
(こんなふうに抽象的に誰かを言うのはいっつも難しいなって思います。)

手当てですね。手当ての詩です。
「再生」でかなり手応えのあった形式を使っています。
書き終えたあとにやっと合格ラインだと言っていたくらいですから、ぎりぎり合格のようなイメージがあったのかもしれません。再生の形式使ってなんとか合格にこじつけたなって。
でも次の日にまた見たときから評価はぐっとあがって、この詩もとても好きになりました。
(そしてこの形式のすごさを感じました。)

天然とか、共鳴りとか、ひいきというちょっと変な言葉がスパイスになっているような、まとまっているようないいバランスで書けたと思ったんです。

最初の連で、医者でもないのに傲慢にならないようにとかそういうことも気をつけていたと思います。気持ちだけでは解決しないことがあることも知っています。(でも気持ちなしではなにも始まりません。)

7回目の解説で書いたような、僕が憧れている人の大半はその憧れてる部分に無意識だったりします。
僕はその憧れを意識してしまっている以上、その面ではぜったいに敵わないんですよね。
理性ある人間が天然記念物や世界遺産のように天然物を守ろうとする働きに似た気持ちが、天然という言葉に表れているのかもしれません。
共感とか共鳴とかいう言葉を使おうと思っていて「共鳴り(ともなり)」という言葉を見つけたときもうれしかったです。最後の「あなたをひいきしているんだ」という言葉も、これを言いたくて書いたのかとさえ思う程でした。

手を当てる、という少し時間がとまるような行為。上手く描けていますよね。
HANDというタイトルには、なんとなくハンドクリームをイメージしてしまいます。


55. 誰にも似ていない私
http://ptpk.exblog.jp/15904933/

この詩の半年くらい前に

 そして私は私になろう
 誰にも似ていない私に
 いつか会いたかったと
 そう言われる私に

というプロットがあって、それを元にこの詩のほぼそのままが完成していました。

 誰にも似ていない私
 洋服を着ている

という言葉は、とってもいいと思っています。
違っていたいと思うのにおんなじで、おんなじだけどきっと違っていて、
そういう矛盾なのか矛盾じゃないのかのところを突かれている気持ちになります。

5本の指が4セットという箇所も、なんだか不思議に思ってしまいます。
似ていないどころかほとんどおんなじじゃん。でも似ていない不思議。
曲を作る予定はないですがこの詩を元に歌ってみた音源メモがあって、
5本の指が4セットというところでちょっとグッときていたんですよね。
それがあったからこの時にちゃんと書き直したのだったかもしれません。


音楽にせよ詩にせよ100%になって見せたい、という気持ちもありますが、
周りを見ていると、どうせもっとすごくなるんですよね。
だから声を大にしては言えませんが、成長していく時系列も価値のひとつになっていく、はずで、そういうふうにも、愛してもらえるといいなあと、少し思っています。よろしくお願いしますね。