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エッセイ・障がい者の友達をつくる



 夜、JRから地下鉄への外乗換(いちど駅の外へ出る乗換)をしていると、カツンカツンという音が後ろから聞こえた。振り向くと男女の二人組。その音は、そのどちらもが叩く白い杖の音だった。二人とも20歳くらいで、男の人はボーダー、女の人は薄めの白い服。そして杖を持たないほうの手で、手をつないでいた。
 暗闇を、音の指針を頼りに堂々と進んでいるのがたまらなくかっこよく、何よりずーっと笑っていたのが最高に幸せそうだった。


 駅の構内に入る直前、メールを送る用事を思い出して立ち止まっていると突然「いたっ」という声がした。さっきのカップルの女の人だった。
 駅前には「∩」の形をした80センチ程度のポール(おそらく車進入禁止用の)があり、女の人はそのポールにぶつかった、というか、ギリギリ乗り越えてしまったようだった。
 「え、どうし、大丈夫?」そう男の人が笑いながら言った。ばかにしている笑いじゃなくて、困ったときに出る笑いだった。
 「うんだいじょ、大丈夫」明らかにまだ痛がっているのに、彼女は大丈夫と彼に言って、二人は駅へと入っていった。
 本当はずっと話しかけたかった。大丈夫ですかと言いたかったんじゃなくて、友達になってみたかった。素敵なカップルですねって言いたかった。
 だけど障がいのない人にはそんなことしないもんな。自分にそう言いきかせて、メールを送り終えてから僕も地下鉄駅に降りていった。


 そのあと、電車を待ちながらふと、障がい者の友達ってどうやって作ったらいいんだろうと思った。
 異性の友達は本気になれば、料理教室にでも行けばできる。外国人の友達ならHUBにでも行けばできるかもしれない。でも、障がい者の友達って?
 いざ考えてみると、街のどこにも障がい者がいない。大通りにも、スタバにも、ルミネにも障がい者がいない。東京に住んでいるのにどこにもいない。あれ、あれ、あれと思ううち、そもそも障がい者と会う機会自体が少なすぎるということに気づいた。


 バリアフリーという言葉を使うのが苦手だった。バリア(障壁)をフリーにする(なくす)という言葉には、バリアを前提としてとらえている響きがあるからだった。ただそれまでの僕がバリアだと思っていたものは、段差であったり、手すりや点字の有無であったりといった「施設的」なものでしかなかった。
 「そもそも障がい者と会う機会自体が少ない」ということに気づいたこのとき、バリアの正体を見た気がした。
 障がい者の友達を作ろうと思ってもどこに行けばいいかがわからない。電車で見かけた障がいのある人に「障がいって大変ですね」と話しかけるのはおかしいし、障がい者の学校に行って「ぼく障がい者と友達になりたくて」と言うのは相当な失礼だ。でも、じゃあどこに行けばいいのかな。
 友達は普通、「同じ場所にいる」ことでなんとなくなるものだと思う。だけど障がい者と(いわゆる)健常者は、まず同じ場所にいない。
 ああ、断絶していたんだ。そう思った。
 (そもそも、障がい者の友達を作ろうという発想自体が断絶を表していたんだね)


 僕が通っていた「普通」の小中高は、障がい者を排除することで「普通」のふりをしていたのか。でも、例えば世界に50代のおじさんしかいなかったら、その世界って普通かな。普通って、「いろいろいる」っていうことなんじゃないかな。
 障がい者と健常者が同じ学校か、せめて併設されていて部活動や行事を一緒に行っていれば、ここまでの断絶は起こっていないように思えた。
 正直にいうと、僕は障がい者との接し方がわからない。他の人と同様に接していいかどうかすら知らない。怒ってる人はそっとしておこうとかそういった方法論を障がいのある人に対しては持っていなくて、電車内でひとりごとを言って歩き回る知的障がいの人を見ると気にしていないふりをしてしまう。家の近くにある福祉作業所は、具体的にはどういうことをしているんだろう。
 お化け屋敷や初めての面接が怖いのは、何が起こるかを知らないからだ。知らないという不安はやがて恐怖に変わる。その恐怖が、排除をより進めてきちゃったんだろう。
 でも、僕は今まで一切接点を持たずに生きてこられたことのほうが恐ろしい。大きな健常者タウンのどこに、障がい者たちはいるんだろう。
 あの二人。手を繋いで夜をぐんぐん進んでいたあの二人は、本当に素敵だった。うらやましくなるほどだった。けれど、もしかしたら「障がい者同士でしか出会えなかった」のかもしれない。


 NHKのオイコノミアという番組で、耳の聞こえないこどもたちの生活する施設にピースの又吉直樹さんが取材にいっていた。夕飯をたべながら「はじめまして」と目を合わせたり「おいしいってどうやるの?」と教えてもらったりしていたのが、そのうち十数人のこどもが普段どおりになり、手話で「あのときお前さ!」「ちがうよ!」「っていうかさ!」のように怒涛に会話を始めると、又吉さんはただ黙って座っているだけになった。
 「こういう言い方は失礼かもしれませんが、あの場では又吉さんのほうが障がい者だった」取材後そう言われていた。つまり障がいとは、あるはずの機能がないということではなく、ただ多数派であるかどうかということだった。それだけだった。
 手を怪我して片方の手で生活をしてたとき、意外と困ったのがドライヤーだった。ドライヤーは、持ってないほうの手で髪を整えながらするものなのだとそのとき気がついた。人間の腕のデザインがはじめから一本だったら、ドライヤーは壁に設置するタイプだったかもなぁと思った。
 腕が三本のコミュニティに行けば僕が少数派になる。仕組みのちがう生活スタイルでは、自転車に乗ることもできないだろうし、カフェでコーヒーを買って席に運ぶという動作でさえままならないかもしれない。腕が三本の人たちが自分たち以外を排除していれば、だけど。
 少数派=障がい者かどうかは、多数派次第だから。


 あの二人と、乗る電車も降りる駅も同じだった。
 電車を降りて階段に向かっていたときにそれに気づいた。二人がなぜかこちらに歩いてくる。こっちに階段はないのに。
 「階段あっちですよ」僕がそう言うと男の人が驚いた。「あ、」彼は笑顔と苦笑いの中間のような表情でこう続ける。「あの自動販売機で飲み物買いたくて」
 後ろには確かに自動販売機があった。「ああ」僕も同じような表情になってその場を去りかけたとき、女の人から小さく「ありがとうございます」と聞こえた。




by yasuharakenta | 2018-09-13 19:53 | エッセイ