エッセイ・ハグさん



 ぽつんとひとりでいる人がほっとけないタチだった。
 そのせいで余計なことをしたなと反省したことも多い。だけど今でもやっぱりそうだし、学生時代は特にそうだった。
 教室にひとりぽつんといる人はたいてい、誰かの悪口を言ったわけでも、いじめられてるわけでもなかった。ひとりでいたいと望んでるわけでもなさそうなのに、話す機会を失って、空気みたいになっちゃった人。
 中3のときのハグさんもそういう人だった。


 小学校は別々で、同じクラスになったのもそのときが初めてだったから、いつからそうだったかは知らない。とにかくいつもひとりだった。ときどきクラスのおとなしめの女子に話しかけてもらう以外は、特に読書も勉強もしてなかったと思う。
 そういう人がほっとけない性格だからといって積極的に何かをしたわけではなくて、話す機会があるときにちょっと多めに話すようにするだけだった。ほとんど忘れてしまったけど、唯一覚えてるのが給食当番のときのこと。
 シチュー担当の俺が目の前のハグさんにシチューをよそうとき、ちょっとおどけて「このくらい? もっと入れる? えーもういいの?」と言った。ほんとそれだけ。だけどハグさんは、言葉こそなかったけど、小さくくすくすと笑ってくれた。それが実は、ものすごくうれしかった。


 入試が終わってあとは卒業式だけという時期になると、卒業式の予行練習などでイレギュラーな時間割になった。その中に「全クラス合同! 3時間ぶっ通し! もらったばかりの卒業アルバムの白紙ページに寄せ書きを書き合う時間!」というのがあった(タイトルは今勝手につけた)。俺は吹奏楽部の部長をやっていたせいで顔が広かったので、後々「浅く広くだったなあ」と思うとも知らず、全4クラスを行ったり来たりして書いたり書かれたりした。120人いる同級生の、半分以上とはやり取りしたんじゃないかな。
 パパっと何かを書くのは苦手じゃなかったから毎回それなりの分量で書いたけど、一番仲の良かった榊のは、どうせすぐ会うからと簡単なメッセージになった。榊からのメッセージも「またあそぼ」の5文字だけだった。こういうものなんだろうなって思ったのを覚えてる。


 相当な数のやり取りを終えてもまだ時間が余った。自分の教室に戻って、後ろ側の右端、壁際の自分の席に座ると、左のほうからハグさんが歩いてきた。たまたま周りには誰もいなくて、明らかに俺のところに来ていた。こんなこと初めてだった。卒業アルバムを持っていて、「これ書いてください」って言った。
 「あ、うん」と笑顔でアルバムを受け取って、4行くらい書いたんじゃないかと思う。ハグさんのアルバムは、俺のとは違ってほとんど白紙だった。周りに誰もいないのに、ハグさんはどの席にも座らず、机の斜め左前でずっと立っていた。
 「はいこれ」と言って笑顔でアルバムを渡すと、ハグさんが「ありがとう」と言った。「ううん全然」って返す。
 それをきっかけに僕らは日常的に会話をするようになって、高校もその後もずっと、長く続く友達になった。


 という続きならよかったんだけど、文章読んでて気付いているかな。
 俺が卒業アルバムを渡してないこと。


 俺は昔からそういうところがあった。今もある。自覚してる。
 いわゆる「弱い人」を気にしてアプローチするくせに、仲間だと認識されると「そういうんじゃねえから」という態度を取ってしまう。癖、と言うにはあまりに最悪だ。


 小2のときに仲良くしていたYは、2、3日同じ服を着ていたり、あまり清潔じゃなかったから嫌なことを言われてたらしい。そんなYとよく公園で遊んだ。というか公園で遊んだことしか思い出せない。2人で公園で、どうやって遊んでいたんだろう。
 一度Yの家の玄関前まで行ったことがある。ドアの隙間から、すぐそこのダイニングテーブルの周りに新聞だの雑誌だのが散乱しているのが見えた。典型的な貧乏の家に見えた。
 Yには言ったことがないけど、Yは作文が上手だった。自分も含めクラスメイトが、楽しかったとかすごかったとか感情のことばかり書いている文集の中で、Yが書いた母親と弟と展覧会を見た話は全然違った。「はるかちゃんのおかあさんにチョコもらった。」「ふうん。」という乾いた文体が他とはあまりに違っていて印象的だった。
 だけど、数ヶ月経つと、Yとはあまり遊ばなくなった。その理由が今なら分かる。というかその時も分かっていた。言葉にすると残酷だからしなかっただけだ。当然のように友達面をするようになったYに対して(友達なのに)、そういうんじゃねえからというのを示したんだと思う。もしかしたら周りの人が言う悪口に気付いたのかもしれない。そういうことを言ってた、後に地元大好き祭り大好き仲間大好きになる、マイルドヤンキーとさえ呼ばれるようになる人たちと、Yは全然違っていたのに。


 小4のころ、上手に学校生活が送れなかったのを、担任のS先生が支えてくれた。あなたは特別なのよみたいなことは言われなかったけど、外れそうになる俺をいつも尊重してくれた。S先生がいなかったら耐えられなかったこともあったと思う。
 小5でのクラス替えで、S先生が別の学年の担任になった。新しいクラスで、S先生はおせっかいでうるさいおばさんだとみんなが言っていたことを知った。だから、あんなに大好きだったのに、一度もわざわざ会いに行ったりしなかった。高学年にもなれば、あのときはありがとうくらい言えたはずなのに。


 そういうことをハグさんにもした。
 自分の卒業アルバムを渡さないことで、そういうんじゃないからというのを示したんだろうな。だけど表情はあくまでも笑顔で! あたかも天然でつい忘れちゃった感を出すことを忘れずに!
 はあ。ハグさんはどう思ったかなあ。あれって思っただろうなあ。それでも嬉しかったのかなあ。
 シチューをよそうときにしたちょっとしたことは、なるべく寂しくないといいなと思ってしたことだった。それがちゃんと伝わってたんだって、俺もすごく、本当はめちゃくちゃはちゃめちゃ嬉しかったのに。


 そんでそのまま卒業した。
 卒業式の夜の打ち上げ(なんだ打ち上げって)にも来てなかったし、その後マイルドヤンキー(高校生編)が開いてくれた学年同窓会にも来てなかったと思う。俺も出なかったけど、成人式にも来てなかったらしい。そりゃそうだよね。
 高校生のときも、大学生のときも、その後もちょくちょく思い出してた。高校はどう? 部活は入った? クラスの人はどんな人? 聞きたいことがその都度あった。
 あのとき卒業アルバムを書いてもらってもう少し話をしてたら、そのときはいなかったであろうハグさんの、その後も続く唯一の味方みたいなのになれてたかもしれなかった。ねえ聞いてよって電話で愚痴を聞いてたかもしれなかった。むしろ、俺の大切な友達になってたかもしれなかった。


 当然、連絡したいと思うこともあった。
 だけど小学校が違うから家も知らないし、同級生に取り持ってもらうにも彼女と仲のいい友達を知らなかった。
 同じ小学校だった人に連絡すれば、住所が分かって年賀状くらい出せたかもしれないけど、結局それもしなかった。


 地元の街を歩く姿をイメージするといつも、髪が長く、顔がよく見えず、重たそうなクリーム色のトートバッグを肩にかけて、そそくさと、だけどとぼとぼと歩くイメージになった。
 いい友達ができてるといいな。どうかそのイメージと違うふうに歩いていますように。


 卒業から10年くらい後、またふと思い出して、どんな顔だったっけと卒業アルバムを見返して驚いたことがある。なんとねハグさんね、美人さんだったの。
 テレビを見てると、かわいいかどうかが重要すぎて女性は本当に大変だと思う。美人アスリートにばかり取材が行くことを、練習だけしてきてようやくメダルを取ったそうではないアスリートはどう思うんだろう。どうしてそういう人を恥ずかしい気持ちにさせるんだろう。いつもふてくされたような気持ちになる。
 でも、批判は一旦置いておいて、現時点でそういう世の中だというのは確かだと思う。容姿の重要度はものすごく高い。だけど、ハグさんだって美人だったのに。
 確かに中学校の頃は、実際にかわいいかカッコいいかよりも、かわいいグループにいるかカッコいいグループにいるかのほうがモテ度に影響してたとは思う。
 でもそれにしても美人だったのにひどいじゃん!って、まるで容姿で判断しろよって思ってるような、よく分からない感情になった。
 

 全然会ってなかった中学の友達の結婚式で、卒業以来に会う同級生にハグさんの話をしたら「なんかすごいおしゃれになってたのを見た人がいるらしい」という噂を聞いた。いいぞいいぞ。本当だったらいいな。
 まじ黒歴史だからさとか言って笑えてたら最高なんだけどな。黒歴史の中の一部ではあるけど、シチューくらいしか思い出話がないから、いっそ新しく友達になってくれませんか。




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by yasuharakenta | 2018-10-13 22:18 | エッセイ