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エッセイ・持て余した時間には他人の会話が入ってくる



 初めて観た劇団の舞台が面白すぎて大興奮した。
 大興奮しすぎて、一度駅まで行ったのに引き返して、途中にあったカラオケで1時間歌った。
 しかしそれでも興奮は収まらず、続けて入ったのが無印良品の小おしゃれカフェMUJI CAFE。すぐに注文を済ませ席に座ると、興奮が手帳の白紙ページを開かせて、思いつくまま脚本を書き始めた。
 が、書けなかった。まず思いつかなかった。そういえば書いたことなかった。
 首をかしげても何も出ない。あれ。興奮したからって能力が上がるわけではないのか。そっかそっか。
 というわけで、ただ興奮を冷ますだけの時間になったカフェ。冷えたグラスが机を濡らしてる。


「ねえ、LINEってどうやるの?」
 持て余した時間には他人の会話が入ってくる。近くのソファー席に座る女性二人組の会話だった。
 この日は今から4年前の2014年で、みんながやっとスマートフォンに慣れてきた頃だった。フリック入力やスワイプといった言葉に耳馴染みのなかった2011年頃からたった3年で、だいぶ普及したように思う。それでもまだこの会話のように、苦手な人も全然いる時期だった。
 だから話し相手が次のように声を上げたとき、そこまで言う?と思った。
「えええ!? LINE入れてないの!?」


 話し相手はさらに続けた。
「ねえ、もしかしてまだメール使ってる?」
 スマホが苦手な苦美さんが「うんそうだけど」と答えると、
「ええーーー!! 私メールしてるのって一人しか、あ、二人しかいないよ」
 とお姉さま気質の女性が苦言を呈するように驚いた。これまでの会話を英語に翻訳するなら、お姉さまの言葉は全部「アンビリーバブル」でいい。そのくらい必死に「信じられない」というのを伝えているようだった。
 しかしそうやって反応されても、苦美さんは「そうなんだー」とのんびりしていた。たぶん、ちょっと聞いてみただけで、元々新しいことにはそんなに興味がないのだと思う。でもそんなのお姉さまが許すはずがない。
「ねえスマホならLINE入れなって」
「うーん」
「とりあえずLINEって検索しなって」
 乗り気じゃない上に検索だっておぼつかないはずの苦美さんが渋々指を動かし、「うんしたよ」と自分のスマホの画面を見せた。
「そしたらぁ……」と指で次の操作を伝えようとするお姉さまの動きが止まり、「えーっと。いいや貸して」と言ってスマートフォンを奪った。
 そしてタンタンタンと操作するのかと思いきや、スマホを受け取ってからお姉さまは画面を15秒ほど見つめていた。そして端末を半回転させ、苦美さんに返した。「まあ、やっといて」
 ええええええ。


 お姉さまと苦美さんの人柄が分かると会話が一層楽しくなった。手はペンを握っているものの、なおさら一文字も増えそうにない。
「この前、会社に行く前にみんなで花見してさ。出社するとき、道ぎゅうぎゅうで大変だったよ、100人いたからさ」
 こう言って新しく会話を始めたのはもちろんお姉さま。お姉さまの人となりがよーく分かる発言だと思う。
「え? じゃあ100人の人とお話ししたってこと?」
 謎な自慢話には謎な質問。この間の抜けた質問も苦美さんの性格をよく表してる。でもお姉さまは「そこ気になるとこー?」なんて野暮なツッコミはしない。何にだって答えられるんだから。
「え、私、フェイスブックに友達200人いるよ」


 まるで合気道のような会話のあと、苦美さんがようやくカウンターのパンチを繰り出した。
「そういえばね、私のスマホ、写真はすごくきれいなんだよ」
「あ、いいなー。じゃあそれで撮ってよ」
 すぐさまカウンター返しを喰らった苦美さんは、ソファーの横に立って微笑むお姉さまを自らも立ち上がり撮影を始めた。5枚くらい撮ってもらうと、お姉さまは大きな窓のほうまで歩いていってしまう。慌てて付いていく苦美。苦美の写真フォルダは、人のいるカフェでポーズを撮りつづけるお姉さまで埋まっていくのであった。
 申し訳程度に自分も撮影してもらって、唐突の割には長かった撮影会が終わった。スマホを返してもらいながら「ありがとうー」と苦美さんが言った。こうやって聞いてくれる子分がいるから、親分は親分でいられるんだな。
 

 ようやくソファーに座りなおすと、「あっ」とお姉さまが声を上げた。「LINEないんじゃん。メールで送れるのかなぁ」
 撮ったばかりの自分の写真をすぐ送ってほしいみたいだった。あ、ちょっと待ってねと苦美さんはスマホを操作し始めるけど、そんなの苦美さんにできるわけがない。
 苦戦している画面をお姉さまが覗き込んで、「ほら、その『そのまま』ってやつでさ」と指示を出すもやっぱりうまくいかなかった。
「ああ、もう、貸して」
 ついさっきの過ちをもう忘れて、またお姉さまはスマートフォンを借りてしまう。なんか昔話見てるみたいだけど大丈夫?
 そんな僕の心配なんて知るはずもなく、お姉さまはうーんと言いながら5回くらい指で画面をいじって、
「あーキロバイトかぁ」
と言い、スマートフォンを返した。


 キロバイトというのはグラムやリットルみたいな単位のこと。写真や動画のデータ量を表す単位で、キロバイトの大体1000倍がメガ、メガの大体1000倍がギガ。メガは「メガ盛り」とかで使われたり(超いっぱいっていうことを表してるんだね)、ギガも最近10代の会話やソフトバンクのCMで「ギガがもうない」「このアプリめっちゃギガくうじゃん」というふうに使われてきてるのでそろそろ馴染んできた頃だと思う(ちなみにこのギガの表現は、「2リットルの水買うとキログラムがヤバイ」と言ってる感じ)。スマートフォンで写真を撮ると大体1メガくらいで、スマートフォンの容量が大体32ギガくらい。
 そんなギガの10万分の1が、「あーキロバイトかぁ」のキロバイト。目安としては、今のスマホやパソコンで表示すると小さくて粗くなってしまう、ガラケー時代の写真のサイズ。
 だからスマートフォンにとって、キロバイトはなんてことないサイズなんだけど、その謎の単語「キロバイト」に責任を転嫁してお姉さまは脱走しちゃったんだね。
 ぷぷぷと思ってるかもしれないけど(僕も思った)、実はみんなそんな変わりはなくて、同じようなことをしているはず。「コピー機の使い方教えてくれませんか」と聞かれて、ああいいよと余裕で教え始めたのに、なぜかうまくいかないと「あ、これ普通紙のやつか……」とか言っちゃいそうだもんね。素直に「ごめんちょっと分からなくなったわ」って言えればいいのにね。


 と、僕がお姉さまのフォローをしている間に、会話はさっきの花見の話に戻っている。豪腕。
「ねえ見て、これがこの間の桜」と、自分のスマートフォンを苦美さんに渡した。どうやら花見の写真フォルダを見せているらしい。
「へえー」苦美さんがスマホを受け取って、人差し指でスクロールしながら「うわあー」とリアクションを取っていた。
「ねえちょっと待って。一番最初の写真見た?」
「え?」
「一番最初のやつ。ちょっと戻って」
 うん、と言って慌てて逆方向にスクロールをする苦美さん。「あ、これ?」
 その画面を見せると、お姉さまは右手をピストルの形にした。
「それ、満開」




by yasuharakenta | 2018-10-26 23:17 | エッセイ