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エッセイ・灰色とオレンジ



 だめかもしれない、と思うようになった。
 音楽を始めてもう数年。根拠のない自信には自信があった。やめたほうがいいかもと、一度も思ったことがなかった。けど最近はちがう。知らぬうちに削がれていた山は、気づけば丘になっていた。


 長く続けた塾講師のアルバイトを3年半前にやめて、制作一辺倒の生活になるはずだった。しかし待っていたのは慢性的なコミュニケーション不足に耐える日々。所属する場所をなくすということは、事務的な連絡さえなくなるということ、そして、連絡できる相手を見つけられなくなるということだった。誰かと話したくても、LINEの連絡先を上から下までスクロールして、結局誰にも連絡しない夜が何度もあった。
 加えて、ここ2年くらいなぜか無視されることが増えた。えいっと連絡したLINEの未読無視もそうだし、身内からの面と向かった無視もあった。「むしされた!」なんて幼稚な案件のようだけど、実際それで相当なダメージを受けた。
 嫌われる勇気という本で、他者はコントロールできないものだからと書いてあった。だから「こうしてほしいのに」と思うたび、その言葉を頭に浮かべたけど、自分だって上手にコントロールできなかった。


 音楽を初めてYouTubeにアップしたのは2012年。音楽以外にも、エッセイ、詩、ライブ、ラジオ、舞台、勉強のサイトと色々やってきたけど、どれも予想した反応を超えたことはなかった。
 詩を毎日書き始めた頃、毎日というのが思った以上にしんどくてすぐやめたくなった。今日マチ子さんの「誰も見ていなくても描き続ける力」という言葉に励まされて、こないだ、とうとう2000篇になった。だけどそれだけだった。
 ときどき、僕の音楽だったりエッセイだったりを広めてくれようとしてくれる人がいる。自分で「自分のはいいですよ」と宣伝するのはいつも難しくて、だから本当にうれしい。だけどそれも、大体が不発と言っていいような広まり方で終わってしまうから、申し訳ないような気持ちにもなる。
 数千人のフォロワー(投稿を見てくれる人)がいる人が「とってもよかった」と書いても、ぽつんと反応があるだけ。それが続くと、数千人にネット上でも無視されている感覚になっていった。大通りで一人おどけているようなイメージが寂しかった。自虐を言うのはダサいと分かっているのに、「前世で評判とケンカしてきたんかな」なんてつまらないことを何度も書き込みそうになった。
 そして先月末、ラジオの最新回を自分のYouTubeチャンネルにアップしたら、たった55人しかいなかったチャンネル登録者が10人、すぐに低評価ボタンを押して逃げた。
 一人で喋って録音編集をして、動画を一本完成させても、効果音もクラッカーも鳴らない。ただ同じ部屋があるだけ。作業とはそういうものだ。反応がないことも分かってきてはいるけど、このときは押された低評価ボタンのその狙い通り、まんまと落ちこんだ。


 褒められたいのかというと、ちょっと違う。
 褒められたことだけを燃料にしていては、表現の世界ではやっていけない。10の褒め言葉より1のネガティブな評価のほうが気になるものだし、孤独の時間はあまりに長い。
 だけど、圧倒的なコミュニケーション不足と無視される作業に、マイナスの反応が加わると、何のためにやっているのかわからなくなった。根拠のない自信は削がれたんじゃなくて、虚しさに変化していたのかもしれない。そう考えて恐ろしくなる。だって「俺、絶対必要だと思うんだけどな」と、そういえば思っていたんだから。


 ただ褒められたことは、燃料でなくても、何一つ忘れていない。誰から何を言われたのかは全部覚えてる。だってそのつど、助かったって思ったから。
 あいつのケツはデスヒップを聞いて「っていうか歌が上手!」って言ってくれた人。まあるいの「好きなんだよ」のとこがいいんだよねって教えてくれた友達の恋人。フロートが好きで「早くカラオケで歌いたいんです」って言ってくれた後輩。グッドバイは名曲だねってメールをくれた一番好きなミュージシャン。一度消したどこまでも行こう、また聞きたいんですってメッセージをくれたネット上の知らない人。たわわなしあわせを電話越しで歌ってくれた人。やっさんの文章はほっこりするっていうかなんていうんだろう、と言葉を探してくれた人。書いた詩をプロフィールに載せていた人。高い声がいいと思うのにって教えてくれた人。どっちもいいよって言葉、ほんとにいいですよねって言ってくれた人。
 どれもうれしかった。


 そういう、忘れられないものの中に、異質な記憶が一つある。
 塾講師のアルバイトをやめるころに見た夢の内容だ。もともと夢はほとんど忘れてしまう体質なのに、その夢は例外的に、詳細が消えていかなかった。


 デパートの非常階段のようなところを降りていた。室内なのに階段は鉄製で、外階段のように細い柵があった。人気(ひとけ)はなく、すべて同じ灰色。カンカンと足音が鳴った。
 数階分降りると、まだ地上階じゃないのに長い廊下に出た。20m先に白色のドアがあって、その向こうに明るい場所がありそうだった。見つけた、とも思わずそのドアのほうへと歩く。
 廊下は鉄製ではなくマットが敷かれ、足音はすぐ吸音された。
 ドアまであと5m、3m、1m、まさにノブに手をかける、というところで呼び止められた。後ろを向くと当時のバイト先の後輩が5人立っていて、その真ん中にいる、去年就職してやめた小さな女の子がオレンジ色の花束を持っていた。強く鮮やかなオレンジ色だった。花束は数本ではなく、棒状というよりは円柱状のふっくらとした花束だった。
 そしてたぶん、おめでとうございますか何かを言われたんだと思う。
「え、おれまだ何もしてないよ」
 何に対するおめでとうなのか、何に対する花束なのかが分かっていない僕に、その女の子が言った。
「今日もまた一歩、夢に近づきましたね」


 燃料にはしてない、ただ覚えてるだけの、夢の話。
 夜の星の光のような、夢のおはなし。





by yasuharakenta | 2018-11-14 20:51 | エッセイ