人気ブログランキング | 話題のタグを見る

エッセイ・オムニバス塾



 個別指導塾で講師の仕事をしていた。ある日の授業中、別のブースから小3くらいの男の子が音読をする元気な声がした。
「うしろに『はっちゃん』と!」
 すかさず先生の声が追いかけていく。
「違うでしょ! 後ろには、ちゃんと! でしょ!」
 吹き出すかと思った。
 ということで今回は塾でのお話。オムニバスだよ。


 ときどき他の先生の授業を代講することがあった。
 授業の最初、その日担当する中1の女の子に報告書(連絡帳のようなもの)をもらって「おっ」と思った。『保護者より』にコメントが書いてある。結構めずらしいことだった。かわいい字体にちょっとした顔文字付きで、おそらくお母さんからだと思われた。ただ、少し不思議なところがあった。
「根本(こんぽん)から教えてやってください」
 なぜか、それほど難しくもない根本という漢字にルビが振られている。なんでだろうと訳を考えていると、横に押された講師印が目に入った。「根本」。
 根本(ねもと)先生の授業だった。
 根本(ねもと)先生の授業へのコメントで「根本(ねもと)から教えてやってください」はだいぶやばい。お母さんよく気付いた。焦るお母さんの想像で可笑しくなり、ねえこれ見てと生徒にも見せてふたりでくすくす笑った。


 ひとつ早いコマに来れる? と連絡のあった日があった。
 体験授業を入れたいということで、教室に着くと、室長が事前に行った保護者と生徒との面談資料を元に説明があった。
「中2の女の子で数学です。まったく出来ないということではないようなんですけど、基本が抜けているようなのでそのへんをチェックしてもらえると。それと・・」
「なんですか?」
「少しふしぎな子みたいなんですよね。面談での印象だけなんですけど」
「どんなふうにふしぎだったんですか?」
「うーん、それがうまく言えないんですよね。安原さんなら大丈夫だと思うんですが」
 最近の若い子はなんてどの世代も言われるけど、塾講師をやっていてよかったことのひとつに、一人ひとりと話せば自分の頃と全然変わらないなと思えたことがある。みんなバラバラだし、多かれ少なかれ変だった。だから、いつもどおりやろうって決めた。
 時間になると、黄色と緑のリュックを背負った女の子が「こんにちはー」と伏し目がちに入ってきた。資料にあった名前を呼んで、今日担当する安原です、よろしくねと名札を見せながら言った。
「あ、はーい」
「じゃあ、あっちの席に行こうか」
 たった15歩くらいの距離だけど、早足にならないように気をつけて歩く。
「あのお」
 その短い間に話しかけられた。
「ん? なに?」
 振り向いて足を止める。
「進研ゼミよりいいんですかー?」
 おかしなことを言ってやろうというテンションではなく、本心そのままのような平坦なトーンだった。『え』と『あ』が同時に浮かぶ。
「あはは。うーん」敵じゃないんだよというのを笑顔で伝える。「進研ゼミもいいと思うけど、今から体験授業やるから、それで自分でどっちがいいか考えてみたらいいんじゃない?」
「あー、なるほどー」
 
 体験授業の目的はがっつり授業をすることじゃなくて、本人の状況や誰の意思でここに来たのかを聞いて、問題で実状をチェックして、これから何をしていくべきかを提案できるようにすることにある。
 通知表とは関係なく自分の理解度は5段階でどのくらいだと思う?と質問すると「2か3くらいかなあ」と返ってきたので、まず中1の基本計算を1問やらせてみた。なんとか正解はしたけど、困りながらで解法もシンプルじゃなかったので、小さなホワイトボードに『ここだけ注意』というポイントを書きながら解説して、
「見ながらでもいいから、もう1問解いてみようか」
 と促した。だけどその子はすぐに解かず、ノートにそのポイントを写し始めた。
「あ、いいよいいよ写さなくても」
「え、そうなんですか」
「ノートにポイントを書くのもいいけど、実際に解いてみて『そういうことかー』って思うのもいいんじゃない? やってみて分かるなら書かなくてもいいってことだし、やっぱり忘れそうだなって思ったらそのとき書けばいいんだしさ」
「あー、進研ゼミよりいいかもー」
 ここ?
 大声を出しそうになったのを抑えて「そう? ありがとう」と言った。そのあとその生徒は入塾して、高校生になるまで担当した。


 教室が人でいっぱいになる講習期間。コマ数も増えるので同じ生徒を何人かの先生で担当することもあり、当然初めて受け持つ生徒もでてきた。
 ある冬期講習で担当した中3の女の子は最初から心を開いてくれた。『心を開く』というのはこの頃の女の子にとって、『グチが言える人だと認識する』ということ。
「ねー、この前の先生超やだったんだけど!」
 ほらね。昨日担当した先生が合わなかったようで、その不満を僕の授業中に言ってきた。
「そうかなあ」
 講習中はどのブースも満席。他の先生の悪口をこれ以上広げるわけにはいかなかった。
「そうだよ! なんかね、ねちょねちょしてる!」
 中3の女子がぶーぶー言ってる様子をイメージしてもらえれば、それです。
「なんでそういうこと言うの! そんなことないけどなあ」
 と言いながらテキストに視線を落として次の問題に行こうとする。
「しかも!」
「なにー」向こうの大声作戦によりこちらの作戦失敗。
「この次もその先生なんだよー? 超や!」
「ちょっと静かに!」こんなに困った顔してるのに気づいて。「でも1回やっただけなんでしょ?」
「そうだけど」とふてくされた。
「それで嫌って決めるのは早くない? どうしても合わなかったら室長に相談すればいいけど、あと1回くらい頑張ってみたら?」
「昨日も頑張ったし」
「そうだと思うけど。やだーって思ってたら先生もやりにくくなるし、余計嫌になっちゃうよ」
「えー」

 なんとか会話を終え、授業も終え、次の授業の準備を立ちながらしていた。講習中はコマが連続していて、すでに次の生徒が横に座っている。
 すると背中にどんと、明らかにわざと誰かがぶつかってきた。振り向くとさっきの女の子。
「(次なんだけど!)」
 声には出さず(えらい)、口の動きと表情で必死に伝えてくる。人が行き来してる休憩時間は余計にその話題に付き合うわけにもいかず、「わかったから!」と言った。
 その言葉を聞いてその子は「ふん!」とリアクションをして自分のブースに向かっていった。手元に目線を戻して準備を続ける。
 すると横で座って待機していた生徒(中3・男子)が、
「え、何がわかったんですか?」
 と聞いてきた。なんだよ。答えられないよ。
 でも確かに、彼からすれば僕は振り向いて突然わかったと言ったことになっている。うーん。回答に迷って、
「まあ、いいんだよ」
 と、こういう大人になりたくなかった的なごまかし方で会話を中断させた。彼も受験生だからか、それ以上聞かないでくれた。
 のに、授業開始30分してまた聞いてきた。忘れろ。
「さっきのって、何がわかったんですか?」
「ええー。うーん」
 答えに詰まる。この頃よく、人の心が読めると半分冗談を言っていたので、そう言おうかなーと思っていると、
「もしかして先生、エ・・」
 と言ってきた。あ、エスパーって言おうとしてるんだ。そう、そうなんだよって言おう。『エ』から『次の音』までの一瞬でそこまで思った。人の推測力ってすごい。
 でも推測って、今までの経験から生じるもので、経験外のことに対してはまったく役に立たないこともある。今回の推測もそうだった。正解はこちら。
「もしかして先生、Mなんですか?」
「え?」
「やっぱり。Mなんだ」
「ちょっと待って」ちょっと待て。「MとかSとか、なんか勘違いしてない?」
「MだMだ」
「いや・・」と言うものの、中学生相手に『あのね、SMっていうのは』と解説し始めるわけにもいかない。
「え、じゃあSですか?」
「いや、うーん」
「まあまあ、わかりましたよ。先生は、M!」
 なぜか完敗した。


 他にも、授業中どうしてもお腹が減ったからとカントリーマアムを取り出して食べ「安原も食べる?」と言った生徒、まったく問題を解いてくれなかったのに俺がドラゴンボールの絵を描けると知ると「悟空とクリリンが戦ってるところ描いてくれたらやる」と言ってその後本当に絵を描いている間は解いてくれるようになった生徒、いろんな人がいた。
 呼び捨てにされることも多かったけど、別にいやじゃなかった。敬語で生じてしまう距離感を避ける方法をそれ以外に持っていなかっただけだと思う。僕自身も近所の兄ちゃんみたいな感じになれたらいいなと思っていたし。やすはらー!という声に悪意がないことくらい全然わかった。
 でも、自分から「敬語はいいよ」「呼び捨てでいいよ」と言ったら二流。強制するもんじゃないし。それに、距離を測っていく過程で会話に少しずつタメ口が混じっていくのがいいんじゃんね。長い間敬語だったのに「あのね、この前ね」と話すようになってくれるのは妙にうれしかった。
 さっきのカントリーマアムの生徒について、当時の手帳にこう書いてある。
「帰り、普通にバイバイをしあうのって、先生と生徒としてはとても素敵だと思った」


 塾の講師をしながら、なぜか一番くらい大切にしていたのが「いい第三者でいよう」ということだった。
 生徒たちの年齢では、家と学校にしかコミュニティを持たず、そのどちらかに問題が生じるただけで逃げ場がなくなる人が多いはずだった。親にも友達にも言えないことだってある。そういうことは、よかったら俺に話してくれたらいいよと思って接してた。
 今は問題がなくても、いざそういう瞬間に「あいつなら話せるな」と思ってくれればいい(頼れるなじゃなくていい)。親と学校の先生と部活の先輩しか年上を知らない人たちにとって、こういう人がいるんだなと思ってもらえるだけで、あの子たちの中での「大人」という言葉の意味が広がっていくはずだった。
 実際にときどき、静かな話をしてくれる人もいた。苦しいからしてくれる話なのにうれしかった。どういう話だったかは、ええっとそれは、内緒に決まってるよね。


 ファミレスでも居酒屋でもLINEでも、話題ってつい、面倒だった話や嫌な人の話がメインになることが多い。ときどき、それってないよなって思う。
 この頃毎日つけていた日記に、授業についての一言感想を書いていた。大変で手のかかる生徒(嫌いなわけじゃない)のは具体的なエピソードになるのに、いつもえらくて、いつも一生懸命な生徒へのコメントは「今日もいい子だった」とか「楽しかった」とかになりがちだった。それじゃあ報われないよね。昔悪かったけど今は真面目な人より、昔も頑張ってて今も頑張ってる人のほうがおもしろくあってほしい。
 だからこのエッセイも、本当はそういうエピソードを入れたほうが盛り上がると思うし悩んだけど、ちょっとした抵抗ということで。



関連ページ
ちゃんとやってるのに伸びないのはどうして?(勉強できようサイト)





by yasuharakenta | 2019-03-31 23:07 | エッセイ