カテゴリ:エッセイ( 4 )



 ぽつんとひとりでいる人がほっとけないタチだった。
 そのせいで余計なことをしたなと反省したことも多い。だけど今でもやっぱりそうだし、学生時代は特にそうだった。
 教室にひとりぽつんといる人はたいてい、誰かの悪口を言ったわけでも、いじめられてるわけでもなかった。ひとりでいたいと望んでるわけでもなさそうなのに、話す機会を失って、空気みたいになってしまっていた。
 中3のときのハグさんもそういう人だった。


 小学校は別々で、同じクラスになったのもそのときが初めてだったから、いつからそうだったかは知らない。とにかくいつもひとりだった。ときどきクラスのおとなしめの女子に話しかけてもらう以外は、特に読書も勉強もしてなかったと思う。
 そういう人がほっとけない性格だからといって積極的に何かをしたわけではなくて、話す機会があるときにちょっと多めに話すようにするだけだった。ほとんど忘れてしまったけど、唯一覚えてるのが給食当番のときのこと。
 シチュー担当の俺が目の前のハグさんにシチューをよそうとき、ちょっとおどけて「このくらい? もっと入れる? えーもういいの?」と言った。ほんとそれだけ。だけどハグさんは、言葉こそなかったけど、小さくくすくすと笑ってくれた。それが実は、ものすごくうれしかった。


 入試が終わって、あとは卒業式だけという時期になると、卒業式の予行練習などでイレギュラーな時間割になった。その中に「全クラス合同! 3時間ぶっ通し! もらったばかりの卒業アルバムの白紙ページに寄せ書きを書き合う時間!」というのがあった(タイトルは今勝手に決めた)。俺は吹奏楽部の部長をやっていたせいで顔が広かったので、後々「浅く広くだったなあ」と思うとも知らず、全4クラスを行ったり来たりして書いたり書かれたりした。120人いる同級生の、半分以上とはやり取りしたんじゃないかな。
 パパっと何かを書くのは苦手じゃなかったから、毎回それなりの分量で書いたけど、一番仲の良かった榊のは、どうせすぐ会うからと簡単なメッセージになった。榊からのメッセージも「またあそぼ」の5文字だけだった。こういうものなんだろうなって思ったのを覚えてる。


 相当な数のやり取りを終えてもまだ時間が余った。自分の教室に戻って、後ろ側の右端、壁際の自分の席に座ると、左のほうからハグさんが歩いてきた。たまたま周りには誰もいなくて、明らかに俺のところに来ていた。こんなこと初めてだった。卒業アルバムを持っていて、「これ書いてください」って言った。
 「あ、うん」と笑顔でアルバムを受け取って、4行くらい書いたんじゃないかと思う。ハグさんのアルバムは、俺のとは違ってほとんど白紙だった。周りに誰もいないのに、ハグさんはどの席にも座らず、机の斜め左前でずっと立っていた。
 「はいこれ」と言って笑顔でアルバムを渡すと、ハグさんが「ありがとう」と言った。「ううん全然」って返す。
 それをきっかけに僕らは日常的に会話をするようになって、高校もその後もずっと、長く続く友達になった。


 という続きならよかったんだけど、文章読んでて気付いているかな。
 俺が卒業アルバムを渡してないこと。


 俺は昔からそういうところがあった。今もある。自覚してる。
 いわゆる「弱い人」を気にしてアプローチするくせに、仲間だと認識されると「そういうんじゃねえから」という態度を取ってしまう。癖、と言うにはあまりに最悪だ。


 小2のときに仲良くしていたYは、2、3日同じ服を着ていたり、あまり清潔じゃなかったから嫌なことを言われてたらしい。でもそんなYとよく公園で遊んだ。というか公園で遊んだことしか思い出せない。2人で公園で、どうやって遊んでいたんだろう。
 一度Yの家の玄関前まで行ったことがある。ドアの隙間から、すぐそこのダイニングテーブルの周りに新聞だの雑誌だのが散乱しているのが見えた。典型的な貧乏の家に見えた。
 Yには言ったことがないけど、Yは作文が上手だった。自分も含めクラスメイトが、楽しかったとかすごかったとか感情のことばかり書いている文集の中で、Yが書いた母親と弟と展覧会を見た話は全然違った。「はるかちゃんのおかあさんにチョコもらった。」「ふうん。」という乾いた文体が他とはあまりに違っていて印象的だった。
 だけど、数ヶ月経つと、Yとはあまり遊ばなくなった。その理由が今なら分かる。というかその時も分かっていた。言葉にすると残酷だからしなかっただけだ。当然のように友達面をするようになったYに対して(友達なのに)、そういうんじゃねえからというのを示したんだと思う。もしかしたら周りの人が言う悪口に気付いたのかもしれない。そういうことを言ってた、後に地元大好き祭り大好き仲間大好きになる、マイルドヤンキーとさえ呼ばれるようになる人たちとは、Yは全然違っていたのに。


 小4のころ、上手に学校生活が送れなかったのを、担任のS先生が支えてくれた。あなたは特別なのよみたいなことは言われなかったけど、外れそうになる俺をいつも尊重してくれた。S先生がいなかったら耐えられなかったこともあったと思う。
 小5でのクラス替えで、S先生が別の学年の担任になった。新しいクラスで、S先生はおせっかいでうるさいおばさんだとみんなが言っていたことを知った。だから、あんなに大好きだったのに、一度もわざわざ会いに行ったりしなかった。高学年にもなれば、あのときはありがとうくらい言えたはずなのに。


 そういうことをハグさんにもした。
 自分の卒業アルバムを渡さないことで、そういうんじゃないからというのを示したんだろうな。だけど表情はあくまでも笑顔で! あたかも天然でつい忘れちゃった感を出すことを忘れずに!
 はあ。ハグさんはどう思ったかなあ。あれって思っただろうなあ。それでも嬉しかったのかなあ。
 シチューをよそうときにしたちょっとしたことは、なるべく寂しくないといいなと思ってしたことだった。それがちゃんと伝わってたんだって、俺もすごく、本当はめちゃくちゃはちゃめちゃ嬉しかったのに。


 そんでそのまま卒業した。
 卒業式の夜の打ち上げ(なんだ打ち上げって)にも来てなかったし、その後マイルドヤンキー(高校生編)が開いてくれた学年同窓会にも来てなかったと思う。俺も出なかったけど、成人式にも来てなかったらしい。そりゃそうだよね。
 高校生のときも、大学生のときも、その後もちょくちょく思い出してた。高校はどう? 部活は入った? クラスの人はどんな人? 聞きたいことがその都度あった。
 あのとき卒業アルバムを書いてもらってもう少し話をしてたら、そのときはいなかったであろうハグさんの、その後も続く唯一の味方みたいなのになれてたかもしれなかった。ねえ聞いてよって電話で愚痴を聞いてたかもしれなかった。むしろ、俺の大切な友達になってたかもしれなかった。


 当然、連絡したいと思うこともあった。
 だけど小学校が違うから家も知らないし、同級生に取り持ってもらうにも彼女と仲のいい友達を知らなかった。
 同じ小学校だった人に連絡すれば、住所が分かって年賀状くらい出せたかもしれないけど、結局それもしなかった。


 地元の街を歩く姿をイメージするといつも、髪が長く、顔がよく見えず、重たそうなクリーム色のトートバッグを肩にかけて、そそくさと、だけどとぼとぼと歩くイメージになった。
 いい友達ができてるといいな。どうかそのイメージと違うふうに歩いていますように。


 卒業から10年くらい後、またふと思い出して、どんな顔だったっけと卒業アルバムを見返して驚いたことがある。なんとねハグさんね、美人さんだったの。
 テレビを見てると、かわいいかどうかが重要すぎて女性は本当に大変だと思う。美人アスリートにばかり取材が行くことを、練習だけしてきてようやくメダルを取ったそうではないアスリートはどう思うんだろう。どうしてそういう人を恥ずかしい気持ちにさせるんだろう。いつもふてくされたような気持ちになる。
 でも、批判は一旦置いておいて、現時点でそういう世の中だというのは確かだと思う。容姿はものすごく重要だ。だけど、ハグさんだって美人だったのに。
 確かに中学校の頃は、実際にかわいいかカッコいいかよりも、かわいいグループにいるかカッコいいグループにいるかのほうがモテ度に影響してたとは思う。
 でもそれにしても美人だったのにひどいじゃん!って、まるで容姿で判断しろよって思ってるような、よく分からない感情になった。
 

 全然会ってなかった中学の友達の結婚式で、卒業以来に会う同級生にハグさんの話をしたら「なんかすごいおしゃれになってたのを見た人がいるらしい」という噂を聞いた。いいぞいいぞ。本当だったらいいな。
 まじ黒歴史だからさとか言って笑えてたら最高なんだけどな。黒歴史の中の一部ではあるけど、シチューくらいしか思い出話がないんだから、いっそ新しく友達になってくれませんか。




[PR]
by yasuharakenta | 2018-10-13 22:18 | エッセイ


 羽田空港からの帰りで、スーツケースを持った長い電車移動の途中だった。まださらに40分ちかく乗らなければならなかったので、乗り換えた電車に空席をひとつ見つけてほっとした。電車は進むにつれみるみる混んでいき、視界は人の壁でいっぱいになった。


 一息つくと、左隣に小学生男子二人組が座っていたことに気がついた。もう21時を過ぎていたのに、進学塾の帰りなのかプリントを持って熱心に復習している。そんなに大きくないように見えたけど、プリントには「小6」と書いてあった。


 とくに真隣の男の子の熱心度は高く、「うーんと、うーんと」といいながら算数の比の問題を解いている。うーんとうーんと、って架空の台詞じゃなかったんだ。
 前に塾で教えてきたときは、勉強が苦手だったり嫌いだったりする生徒を多く教えていたので、こんなふうにゲームみたいに楽しく勉強ってできたんだなと思わさせられた。


 そんな彼とは違い、さらに左に座る男の子は冷静で、社会のテキストを片手で持っている。その、冷太(れいた)のテキストを、温太(ぬくた)が覗きこんだ。


「あ、これ大化の改新でしょ? えっとえっと、大化の改新は『なかのおおえの』とー、そがのうま……いるかだったー!」


 一番気になるところがあるけど、まず中大兄皇子を略しているのがなんともラブリーだ。それから、蘇我入鹿はたしかにインパクトのある名前だったけど、イルカじゃなく「動物の名前」だって覚えるからそういうことになるんだ。
 この後も温太はかわいさを爆発させ続けた。


 二人ともやることをコロコロ変え(電車内でこれを終わらせようと決めているのかもしれない)、続いて理科のプリントを取り出した。一枚のプリントを二人で見ながら温太が言った。「尿は尿管をとおってー、アンモニア水になるんだっけ?」
「アンモニア水じゃないでしょ」冷太がクールに返答した。それでも温太のクエスチョンは止まらない。
「おしっこって何性だっけ? アルカリ性?」
「アルカリせ……」と言いかけた冷太が、突然小声になって「ここでこういう話するのやめようよ!」と注意した。
 確かに。彼らの周りは人だらけ。
「あ!」と温太は口に出して言ったあと、「そっかー!」と笑った。


 そのうち温太が、持っていたプリントをガサガサとリュックにしまい始めた。降りる駅が先に近づいてきたらしい。リュックのボタンをぱちんと留め、駅への到着を伝えるアナウンスが聞こえると、スーツを来た大人だらけの中にポツンと立ち上がった。
 電車のドアがいよいよ開きそうになると、温太は冷太のほうを振りむいて、右手を軽く振りながら、


「じゃあねー、あいしてるよー」


と言った。突然言った。酔ったおじさんみたいに言った。本当に言った。
 口を閉じたまま目を大きく見開く、まるで目の前で恋人たちがキスをしたときのような表情を小6の男子にさせられた。相当驚いている俺の横には、まったく動じていない冷太が座っている。いつも言ってるのかよ。
 控えめに言って最高。温太、俺も君が好きだ。




[PR]
by yasuharakenta | 2018-09-26 22:53 | エッセイ


 夜、JRから地下鉄への外乗換(いちど駅の外へ出る乗換)をしていると、カツンカツンという音が後ろから聞こえた。振り向くと男女の二人組。その音は、そのどちらもが叩く白い杖の音だった。二人とも20歳くらいで、男の人はボーダー、女の人は薄めの白い服。そして杖を持たないほうの手で、手をつないでいた。
 暗闇を、音の指針を頼りに堂々と進んでいるのがたまらなくかっこよく、何よりずーっと笑っていたのが最高に幸せそうだった。


 駅の構内に入る直前、メールを送る用事を思い出して立ち止まっていると突然「いたっ」という声がした。さっきのカップルの女の人だった。
 駅前には「∩」の形をした80センチ程度のポール(おそらく車進入禁止用の)があり、女の人はそのポールにぶつかった、というか、ギリギリ乗り越えてしまったようだった。
 「え、どうし、大丈夫?」そう男の人が笑いながら言った。ばかにしている笑いじゃなくて、困ったときに出る笑いだった。
 「うんだいじょ、大丈夫」明らかにまだ痛がっているのに、彼女は大丈夫と彼に言って、二人は駅へと入っていった。
 本当はずっと話しかけたかった。大丈夫ですかと言いたかったんじゃなくて、友達になってみたかった。素敵なカップルですねって言いたかった。
 だけど障がいのない人にはそんなことしないもんな。自分にそう言いきかせて、メールを送り終えてから僕も地下鉄駅に降りていった。


 そのあと、電車を待ちながらふと、障がい者の友達ってどうやって作ったらいいんだろうと思った。
 異性の友達は本気になれば、料理教室にでも行けばできる。外国人の友達ならHUBにでも行けばできるかもしれない。でも、障がい者の友達って?
 いざ考えてみると、街のどこにも障がい者がいない。大通りにも、スタバにも、ルミネにも障がい者がいない。東京に住んでいるのにどこにもいない。あれ、あれ、あれと思ううち、そもそも障がい者と会う機会自体が少なすぎるということに気づいた。


 バリアフリーという言葉を使うのが苦手だった。バリア(障壁)をフリーにする(なくす)という言葉には、バリアを前提としてとらえている響きがあるからだった。ただそれまでの僕がバリアだと思っていたものは、段差であったり、手すりや点字の有無であったりといった「施設的」なものでしかなかった。
 「そもそも障がい者と会う機会自体が少ない」ということに気づいたこのとき、バリアの正体を見た気がした。
 障がい者の友達を作ろうと思ってもどこに行けばいいかがわからない。電車で見かけた障がいのある人に「障がいって大変ですね」と話しかけるのはおかしいし、障がい者の学校に行って「ぼく障がい者と友達になりたくて」と言うのは相当な失礼だ。でも、じゃあどこに行けばいいのかな。
 友達は普通、「同じ場所にいる」ことでなんとなくなるものだと思う。だけど障がい者と(いわゆる)健常者は、まず同じ場所にいない。
 ああ、断絶していたんだ。そう思った。
 (そもそも、障がい者の友達を作ろうという発想自体が断絶を表していたんだね)


 僕が通っていた「普通」の小中高は、障がい者を排除することで「普通」のふりをしていたのか。でも、例えば世界に50代のおじさんしかいなかったら、その世界って普通かな。普通って、「いろいろいる」っていうことなんじゃないかな。
 障がい者と健常者が同じ学校か、せめて併設されていて部活動や行事を一緒に行っていれば、ここまでの断絶は起こっていないように思えた。
 正直にいうと、僕は障がい者との接し方がわからない。他の人と同様に接していいかどうかすら知らない。怒ってる人はそっとしておこうとかそういった方法論を障がいのある人に対しては持っていなくて、電車内でひとりごとを言って歩き回る知的障がいの人を見ると気にしていないふりをしてしまう。家の近くにある福祉作業所は、具体的にはどういうことをしているんだろう。
 お化け屋敷や初めての面接が怖いのは、何が起こるかを知らないからだ。知らないという不安はやがて恐怖に変わる。その恐怖が、排除をより進めてきちゃったんだろう。
 でも、僕は今まで一切接点を持たずに生きてこられたことのほうが恐ろしい。大きな健常者タウンのどこに、障がい者たちはいるんだろう。
 あの二人。手を繋いで夜をぐんぐん進んでいたあの二人は、本当に素敵だった。うらやましくなるほどだった。けれど、もしかしたら「障がい者同士でしか出会えなかった」のかもしれない。


 NHKのオイコノミアという番組で、耳の聞こえないこどもたちの生活する施設にピースの又吉直樹さんが取材にいっていた。夕飯をたべながら「はじめまして」と目を合わせたり「おいしいってどうやるの?」と教えてもらったりしていたのが、そのうち十数人のこどもが普段どおりになり、手話で「あのときお前さ!」「ちがうよ!」「っていうかさ!」のように怒涛に会話を始めると、又吉さんはただ黙って座っているだけになった。
 「こういう言い方は失礼かもしれませんが、あの場では又吉さんのほうが障がい者だった」取材後そう言われていた。つまり障がいとは、あるはずの機能がないということではなく、ただ多数派であるかどうかということだった。それだけだった。
 手を怪我して片方の手で生活をしてたとき、意外と困ったのがドライヤーだった。ドライヤーは、持ってないほうの手で髪を整えながらするものなのだとそのとき気がついた。人間の腕のデザインがはじめから一本だったら、ドライヤーは壁に設置するタイプだったかもなぁと思った。
 腕が三本のコミュニティに行けば僕が少数派になる。仕組みのちがう生活スタイルでは、自転車に乗ることもできないだろうし、カフェでコーヒーを買って席に運ぶという動作でさえままならないかもしれない。腕が三本の人たちが自分たち以外を排除していれば、だけど。
 少数派=障がい者かどうかは、多数派次第だから。


 あの二人と、乗る電車も降りる駅も同じだった。
 電車を降りて階段に向かっていたときにそれに気づいた。二人がなぜかこちらに歩いてくる。こっちに階段はないのに。
 「階段あっちですよ」僕がそう言うと男の人が驚いた。「あ、」彼は笑顔と苦笑いの中間のような表情でこう続ける。「あの自動販売機で飲み物買いたくて」
 後ろには確かに自動販売機があった。「ああ」僕も同じような表情になってその場を去りかけたとき、女の人から小さく「ありがとうございます」と聞こえた。




[PR]
by yasuharakenta | 2018-09-13 19:53 | エッセイ

ツイッターより。
https://twitter.com/yasuharakenta
https://twilog.org/yasuharakenta/date-150715


ーーーーーー



いわないところに、の話。

「いわないところに本音があるの」という詩を、以前に書いた気がする。これは「好き」という気持ちだったり、逆にすごく悪い意味でこころに残っていたり、その人が言葉にしていないところに、本当の気持ちがあるという意味。(詩を、しかも自分で解説するのは蛇足ですね)

800以上の詩を書いて、様々な方法論が浮かんでは消えたけど、一貫してやっているのは、戦争に関する言葉は使わないというもの。これはポリシーとして掲げているというより、単にいやだから使っていないだけ。戦いに関する言葉を使うことで、その嫌気がマヒしていくのがいやだった。

だけど詩の(特に作詞の)世界では、まあ多いんだ。「これは俺の戦い」とか「戦場で」とか「銃を向けた」とか。使う人を非難はしないけど、僕はやめておこうというスタンスでいました。

ももクロをイメージして勝手に作詞した「アイドルソング」という詩では「私達絶対負けないけど別に戦いに行く訳じゃない。そうやって人を殺す名前で私達を例えたりしないで」と書いています。アイドルも(煽る大人が)「戦い」をよく使います。「戦士」と言われるアイドルの葛藤を想定した言葉でした。

「いわない」方法というのは、絶滅危惧種みたいな、とても弱い方法です。「いわない」ことでは「いう」ことを消せません。ただ0でいるだけ。誰かがまた「戦い」の話をするのを、マイナスにする力はありません。

「いわないところに本音があるの」と書いたけど、自分のトラウマに値することほど言葉にはしづらいもの。言葉にしないうちに傷が治ることを期待してるのかもしれない。過去の辛い失恋だったり、いじめだったり、挫折だったり、別れだったり。それを口にしない人ほど、深く傷ついていたのかもしれない。

だから、戦争の経験を伝えなきゃと思って話をしているおじいちゃんおばあちゃんは、それを乗り越えざるを得ないくらい、そんなこと言ってられないくらいの気持ちになったんだと思います。今でもその体験を口にできない人もいると思う。それはその人の弱さじゃない。それが戦争の強さなんだと思う。

何かを反対する気持ちというのは、いつも弱い。口をつぐむことは悲しいけど0でしかない。口にしても、反対の声というのはいつも荒らげで、する方も聞く方も疲れさせていく。一方、何らかのコンタンがある人は、予防接種みたいに少しずつ、少しずつ日常に毒を盛ればいいだけ。

そしてマヒさせて、小さな一点でも穴があいたらもうおしまい。その穴にドリルをあてれば、一気に大きな穴があきます。0と1は違うけど、1と10は似てるんです。ここが怖いところ。

ワンマンバンドに王様みたいな人がいて、周りに意見に従わせて作った音楽アルバムが、世間の心を打って大ヒットになることがあります。だけどそれは芸術だから。

ワンマンバンドと、みんなの代表という立場を勘違いして強行採決をするのとのには大きな隔たりがあります。バンドにはバンド側と観客がいる。だけど、国というバンドに観客はいない。

ワンマンバンドの王様が、きっと何処かに分かってくれる人がいるはず、と思ってワンマンプレイをするのとは、全然違うんです。国には観客なんていないんだから。全員がプレイヤーなんだから。たかだか数人のバンドとは訳が違う。1億人の演奏。自分勝手ではうまくいかない。

今悩んでること、恋をしている人、仕事上のトラブル、家族の悩み。そういうのが愛おしくなるのが戦争。そういう悩みを蹴散らすほどの、大きな渦なんだから。苦しくて愛おしい日常を、ぶっ壊すのが戦争。

日本人を守るためにっていうけど、攻撃すれば世界の誰かを失うんだ。世界のどこかの人を守るためにも、戦わないほうがいい。(その世界の誰かが、自分のイトコだったら?友達だったら?と想像してみる。)

憲法9条って、超カッコイイんだよ。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」だよ。「希求し」だよ。願って求めるんだよ。平和を。

永久に放棄するってかっこよすぎる。こんなことなかなか言えないよ。こんなことを言いたくなったのが、戦争後の本当の気持ちなんだ。それを未来の俺らが勝手に解釈しちゃだめなんだ。同じ気持ちなるからな、やめとけよっていうアドバイスであり、メッセージなんだよ。

どっちの方向を向いてるのかっていうのが大切。この法案では、戦争には繋がりませんって思っていても、どっちの方向かといえば戦争の方向だ。誰かひとりでも、戦争したがりが紛れ込んでたら終わり。後ろを向いてれば、9条の方を向いてれば、可能性はかなり低くなる。

それは逃げじゃなく、平和への希求(ききゅう)。行き先はそっちでしょ。

将来の子どもが「9条って弱くねー?」って言ったときに「でもあの弱い文を守るのは大変だったんだ。ゲームでも、弱いとすぐしんじゃうだろ?」「うーんそうかも」「なんとか守れて本当に良かったと思ってるんだよ。外国も日本を見習おうってなってきてるんだから」と言いたいよ。

憲法とか法案とか、中学生や高校生でむずかしく感じたら、戦争に行きたいか(クラスメイトに行かせたいか)を考えてみて、嫌だったら反対でいい。「まさか私を戦争に巻き込もうとしないよね?」って親に言っていいよ。こんなことしてる人たちに、当然次は投票しないよねって。

暮らしをよくします!って言って当選した人たちがそういうことしてんだから。国民が!って言ってクラス会より子供みたいな議論して、相手(相手の議員だって国民)を罵倒してる人たちなんだから。もし前回投票しちゃってたとしたら、反省して、次は気をつけなきゃねって。

賛成の人と反対の人を集めても、日本人口の半分もいかないよ。だから中学生とか高校生が、戦争ってやだよねーってドリンクバー飲みながら少し話して、夕飯のときに戦争ってやだよねーって親に言うだけで、勢力は大きく、かなり変わるよ。

コツは、言いすぎないこと。どんなに正しいことでも、声を大にして話してる人からは遠ざかっちゃうから。普通のトーンで、ねーって言って、それを今までより少し空気になじませていくだけ。

「いわないところに本音があるの」。戦争体験について話すおじいちゃんおばあちゃん、また70年経っても話せないおじいちゃんおばあちゃんを、想像してみる。「希求」と「永久に放棄」という言葉に救われた、戦後の人たちを想像してみる。

または、自分が他国の人だとして、日本を攻撃したいかを考えてみる。攻撃したくないなら、させちゃだめ。させないようにするには、しないことしかない。(させないように日本以外すべてを破壊する、以外には。)

0にしかならない方法でも、空気を少し変えていけば、まわりもだんだん0になる。そうすれば飛び出している尖った意見がより鮮明に見える。その人はきっと、恥ずかしくなる。

いわないところに、の話。おしまい。行間を読むってこと。想像するってこと。




[PR]
by yasuharakenta | 2015-07-15 22:52 | エッセイ